コロナを生き抜くヒーラーのブログ

認知科学や能力開発を使いつつ、内部表現書き換えやってます。最近は政治経済や副業Ubereatsの話も多いです。

高校3年間制服をあんまり着なかった話〜コミュニケーションが中身であり、制度は外側。

LGBTや差別問題を扱うとき、その学校の決まりやルール・法律が問題視される。

制度の改革には同意するものの「制度が自分を縛っているのだ・制度やルールがあるからこうなるんだ・ここを変えれば何か変わる」という態度には少し違和感を持っている。

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僕の通っていた高校は、着ていく服が自由だった。例えばテスト期間中や卒業式など特別な日以外は、ジャージや私服で過ごしてOK。

そんなルールなので、僕はよく朝から帰るまでをジャージで過ごした。その方が身軽で快適だったから。

しかし当時の同級生は、男子女子問わず8割~9割の人間は制服を毎日着ていた。女子はスカート。男子はポロシャツの上に制服を着る。廊下ですれ違う同級生に「なんで永野くんは制服着ないの?w」「お前制服着ろよwwww」とよく言われた。

 

僕にはこれが不思議で仕方なかった。制度的にOKでも、自ら進んで同じ服装になったりする。「制服がかっこいい(かわいい)」「今しか着れない」という意見もある。この理由もよくわからない。暑いときも寒いときも動きにくいときも、あったろう。なぜ我慢してまでそっちの気持ちが勝つのか。

ポイントはルール的にOKでも、というところだ。

制度が自由でも、中身の人がそれに乗るとは別の問題だ。今考えると同級生にLGBTもいただろうけど、おそらく、自分の性と合わない服を着ていたんじゃないか。

 

井手上漠くんの本を読んでいると、こんな事例が載ってあった。

高校の制服が、男子用・女子用からAタイプ・Bタイプと名称が変わり、生徒自身が自由に選択できるようになった、と。生徒が声を挙げてアンケートをとって、先生に意見を聞いて、コミュニケーションをとっていく中で、そういう結果になったらしい。

僕はこの動き自体に賛成する。なぜならプロセスに賛同したからだ。先生と生徒が話し合った結果(コミュニケーション)としてそれが起こった、そのプロセスで学校の空気自体が過ごしやすいように変化した、素晴らしいことだと思う。


もし上記の活動を形だけ真似て、コミュニケーションなしに(プロセスなしに)制度だけ取り入れても、結局、中身の人が何も変わらない。

コミュニケーションして「こういう形にしよう」と考えたプロセス自体が中身なのであって、「着る制服を自由に選べるようになった・名称が変わった」の部分は、結果でしかない。

僕のように毎日ジャージかTシャツを着るのも、今思うと正しいと思えない。同じ服装をすることによって結束したりする場面も何度もあったから。中身は人とプロセス。制度は所詮は結果でしかない。