みらブログ

デフレで疲れた方の身体と心を癒すべくヒーリング(内部表現書き換え)を行ってます。身体・無意識開発をメインに活動中。苫米地・高岡理論をなんとか使ってます。

安楽椅子(BANK)に座り続ける側にもホメオスタシスが働く。

今後は遊びの時代がきてベーシックインカムを導入、という流れになるのだろうが・・・今の政府を見ていると、月に7、8万円払うのすら嫌がる気がする。

 

ケインズは市場の問題点について椅子取りゲームを例に出していた。

利子は国民が生産したすべてに対する先取りです。音楽に合わせて椅子の周りを人が回りはじめます。突然、音が止むと、皆が椅子に座ろうとします。しかし椅子は一つ足りないのです。足りない椅子は利子で取りされらた分です。ひとり社会から落伍者がでます。そして、また音楽が鳴り始めますまた椅子が一つ足りません。こうしてゲームは続くのです。たとえ、いま自分がうまく座れたにしても、それは誰かが落伍しているからなのです。
エンデの遺言 P230より引用

ビジネスで成功している人間が、この構造を知っているのか知っていないのかはわからない。信用創造くらいは調べたら誰でも知っているんだろうが。なんだかなー。

経済学はそれを前提としていないし。

 

貨幣供給者の最たるものは銀行です。bankの語源を尋ねると、ゲゼルが指摘しているのですが、安楽椅子という意味が見出せます。普通の金融経済学者は、bankの語源についてイタリア語のbancoまでしかたどりません。banko、つまり記帳台がその語源だというのです。しかし、これをもっとさかのぼりますと、古ゲルマン語のbankiに突き当たるというのです。bankiはゲルマンの類似から「安楽椅子」という語義が生まれたそうです。bankに至るまで、その語義は継承されています。銀行はお金を扱います。お金は、もっていても劣化しません。取引でお金をもつほうはもちつづける余裕をつねにもっています。取引で自分が有利になるまでもちつづけることができます。お金を持つものは「安楽椅子」に座るがごとく待っていればいいのです。ここにお金の力の根源がありますが、銀行はそれをもっているのでBANKといわれるわけです。

エンデの遺言 P118より引用

仮に日銀や連邦準備銀行が廃止されるような未来があった場合、中央集権が消えることになる。昔やっていたような民間がお金を発行して~という流れになるのだろうか。今のところ「税金どうすんだ?」という問題があるため、いくら中央集権がいらないビットコインのような仕組みがあっても、中央集権+ビットコインという状態になる(税金を払うため、中央集権=お金が必要)。

電子マネーはお金を入金して使っているから、根本的にビットコインなどとは違う(SUICAなど)。

結果だけみればビットコインは今は一部の人間が儲けただけ汗

 

今後はフィンテックの流れがくる(きている)ので、こういったあたりの知識も課題。

電子マネーはお金を使った感覚が薄れるといった負の側面もある。1回1回つけないと、Rゆらぎが進まない。クレジットカードとか、確かに感覚なくなるし、便利なんだけどねー。ここらへん「こういう仕組みを利用したら洗脳しやすい」ってのに使えるのかも。結局はお金は情報空間の移動だけど、物理空間に近いところの臨場感があるかないかで、使い方が変わると。

巷のラーメン屋なんかはカード使えず現金ばっかりだけど、クレジットカードも利権という話がある。店舗側には導入にお金も払うし、導入してからも手数料はとられるわでメリットなんてなし。「なんでクレジットカードごとき導入してねーんだよ」と思う気持ちもわからんでもないが。庶民の店の事情を知らないわけではないだろうに。

一部の人間だけが得をしているが、その人たちも根底には変わりたくないというホメオスタシスが強烈にあると思う。個人としても集団としても。

 

本当にどうなるんだろう。調べないのも不安だけど、調べても不安だね汗

落合陽一さんが明治維新について良い方面で語っていたけど、情報身体や身体使いのレベルで見れば真逆の結果。高岡先生もこのあたりは書いていたけど。戦争後も同様。洗脳(?)が入り込み、文化が壊れ、潜在的な見えない資産が失われる可能性が高くなる。

資産は人が生み出す文化なりなんなり、そこでしか出てこない視点を指す。視点は誰が生む?ー人が生む、と思う。文化を輸入してきたりすると元々あった視点が染められ、消えていってしまうのではないか。

アメリカの属国にて洗脳行き届き、一番の資産である人は殺される(比喩でなく)。科研費などは削られて、能力のある人は海外に逃げていく。

 

最近、ただの悲観的日誌になってるので、もうちょっと今後は明るい話題も書いていこう笑

エンデの遺言「根源からお金を問うこと」

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