みらブログ

クライアントの身体と心を癒すべくヒーリング(内部表現書き換え)を行ってます。

「愛という名の支配」読みながら、魚人島編を思い出す。

最近、読んだ本の気になったところと感想まとめ。

 

「愛という名の支配」田嶋陽子

このあいだ、「アーロン収容所」という本を読みました。第二次世界大戦中にアーロン収容所に日本の兵隊が捕虜としてとららわれるのですが、そのときに、捕虜になった兵士たちがいちばん屈辱を感じたことは、作業として掃除をさせられたり洗濯をさせられたりすることです。日本の兵士たちは、それを屈辱だと感じて、腹を切りたいとさえ思います。(中略)

少なくとも当時の男たちは、洗濯したり掃除したりすることにそれほどの屈辱を感じていたということです。なぜなら、そういった作業は自分たちよりも身分の低い女の仕事として考えていたからです。

 (P45より引用)

 

最近、セックスしないカップルが増えているとか、セックスしない男の人が増えているというのをよく耳にします。それは、もうそういうかたちで人とと関わろうとしない。あるいは、かかわれなくなってりうからだという人がいます。でも、私はそうは思いません。そうではなく、男たちが、制服による占拠・占領といった支配的な男女関係のセクシュアリティから一歩抜け出して、自然体になってきたのではないかと思うのです。

(P136から引用)

 

・恋愛や結婚は、相手との関係が真剣であればあるほど、自分の生育史みたいなものがあぶりだされてくるものです。イギリスでもアメリカでも、人間関係がうまくいかないときや恋愛が終わったときも、また離婚するときなど、かならずセラピーにかかって自己分析がする人が増えます。そのたびに人は少しずつ、ちょうど自分のからだを知るように、自分の心を知っていくのです。

(P.167から引用)

 

なんかだいぶ学生時代などに築かれたイメージと違う人に見える。ビートたけしだけは田嶋陽子さんの本を読んでいたのではないか?みたいな記事がネットにあったけど、読んでいたと思う。

 

時たまテレビを見るときに思うけど、今の50代以上くらいが、肌感覚として

・スポーツの世界でいえば「体罰がだめだ」という感覚

・女性差別で声をあげる感覚

・パワハラで声をあげる感覚

を感じるのはほぼ無理だと思う。

 

 

「空気」と「世間」

人は不安になったとき、原理原則に戻るのです。不安になればなるほどです。

自分の住んでいる世界がどこに向かっているのか分からなくなった時に、人は、自分が安心できる、理解すやすい、懐かしい世界を求めます。

それで、すべての人が問題がなければ、僕はそれが一番の解決方法だと思います。

けれど「例えば、複音はの貧しい白人(ブワー・ホワイト)が夢見る「古き良きアメリカ」とは人種差別と男性差別が激しかった時代のアメリカなのです。

白人男性にとっては理想世界かもしれませんが、それ以外の人たちにとっては、戻りたい世界ではないでしょう。

 (P.190から引用)

過去の情動記憶と言ってしまえばその通りなんだけど。

自分たちの生きてきた眩しい世界は、もう揺れ動かないような気がする。体罰・パワハラ・セクハラ・ブラック体質。

 

また上の文章では「それ以外の人たちにとっては戻りたい世界ではないでしょう」とあるが、無意識レベルでは違うのではないか。

「女性差別があった世界に、女性が戻りたいと思うのか」といえば当然、戻りたくないだろう。岸田秀は「女性差別は文化の基盤」として、女性差別は男性がするというより、両者の幻想によって成り立っているということを書いていた。

体罰されてきた世代が体罰されていた時代が眩しく見えるのは、一見おかしい話だが、実は筋は通っている(一番体罰やブラック体質にぶつくさ言っている僕らの世代は、学校に行っている年齢からそれはなかった。)

虐待にしろ、体罰にしろ、なんらかの形で適応したり当人なりの乗り越え方を持ってその時代を生きるしかない。それが「折り合いをつける・抑圧をする・自分の本音を捻じ曲げる」などという結果を生むが、どの程度になるのかは人による

 

そういや田嶋陽子さんや上野千鶴子さんの本、空気の支配関連を読みながらワンピースの魚人島編を思い出していた。

フィッシャータイガーがどうしても血を拒む、の場面。

血を受け入れたら死んでしまうのだろうか?

どうしても「ふーん」って感じで読んじゃうけどねー。

50〜60の人たちの考え方も、肌感覚としては自分自身わかっていないのかも。