
見てすぐわかる犯罪地図 なぜ「あの場所」は犯罪を引き寄せるのか (青春新書インテリジェンス)
- 作者: 小宮信夫
- 出版社/メーカー: 青春出版社
- 発売日: 2015/06/02
- メディア: 新書
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泥棒は塀がある家とかを狙いやすいという。
「塀の中に入ってしまえば中で何しているか見えない」というのが理由のようだ。犯罪者視点に立てば、なるほど確かにその通り。当たり前といえば当たり前の話。
主婦が万引きが多いというのも、毎日刺激がないという事情とかを想像して「Rがないのでわからない人」もいれば「わかるわかる」という人いる。
男性からチヤホヤされる女性をつい嫉妬してしまう女性がいたする。同性から同性への嫉妬。
・自分と同じ境遇の人間が↑の例のように、ちやほやされている。
・美人のトルコ人が、自分ではまったく見知らぬ土地でキャーキャー言われている
どっちが嫉妬の深くなるか。
嫉妬心とはうさぎや動物の耳がピンとなるかのごとく、一瞬で(スコトーマから弾かず!)なぜか一言一句漏らさず相手を聞いていたりする。「あいつ今の仕草が男を意識してないか?」などとなるのは、ヘリコプターペアレントに似た感じである、
自分と近しい距離ではない人間がモテようが知ったこっちゃない。自分と同じような、どこか似ている人間・・・なのに関わらず自分より充実しているのが腹立ったりする(実際には自分より充実している「ように見える」だけで、事実とは異なる場合もある。)
ラポールはネガティブラポールやハイパーラポールに変わる可能性がある、殺人なども近しい存在同士などが多い。愛情の裏返しという言葉があるように、強い情動関係は裏返しで変な気の送り方をしたり、イザコザが増幅する元となる。
これは対象が人や物であっても同じで、強く結びつけばつくほど、イップスになったときの前との不協和とかは、こんなはずじゃなかったという差分は大きい。
例えば僕がラーメン作って「なんてお前の作るラーメンはまずいんだ」と言われても何も腹は立たない。しかしラーメン屋の店主ならそうはいかないだろう。
自分にかけているものが大きいほど、通り過ぎられない。もちろん当人がエフィカシーを保っていればいいのだが・・・。
コンプレックスをバネにしたり、マイナスのエネルギーを糧に行動しても上にいけない。この手のことは集団においても同じではないか。
・「子供のためにいい社会を」という人たちを見ていて、親を仮想敵にして仲良くなっている
・「女性が住みやすい社会を」という人たちを見ていて、男性を仮想敵に仲良くなっている
・・・と思うことがある。
「多様性のある社会を」といいつつ、男性や上の世代の価値観を明らかに認めておらず、プンスカ怒るだけなら誰でも出来る。声を上げていこうという意見には大賛成だが、それが鬱屈したマイナスのエネルギー、コンプレックスをバネにするところからきていると、空気が悪くなってしまう。
自分がされたことを下の世代にやってしまうのは、いじめの構造と非常に似ている。
「世界」の中に、自分の集団も、相手の集団も包含する視点があるのが理想だ、というのが抽象度を上げる方向だろう。むしろ包摂型というより排除型のような感じだ。
だからコンプレックスをバネに「男女の差別をなくそう!」「虐待をなくそう!」といった活動は、本当にそれでいいのか?と感じるようになった。これは実は最近のこと。それが社会的に問題であることと、条件反射的にピキることとは別のことだろう。仲間が傷つけられたら烈火のごとく怒る方がいいとも思うが、そういった怒りではもいような気がするし。
自分の生活が充実していて、ニコニコ笑顔で、そんなやつの方が余裕がある。活動はうまくいきそうなものだ。