才能の中身研究ブログ

スプリント(100m)/飛脚研究家/情報身体の映像化/ヒーラー(気功師)/UberEats配達員/MJ大好き/FE廃人/指原好き

変性意識と基準~イタコやジルボルトテイラーがウナに乗っていたとは思えない

昔、youtubeに沖縄のイタコの話が上がっていた。今は消えているっぽい。明らかに変性意識に入って、脳的には右脳の活動が上がっているという内容だった。

特定の意識状態にはいれば、通常の意識状態とは違うようになるのは間違いない。情報統合理論やホログラム理論でもそこらへん触れていたと思う。そのほか、能力開発でも昔から右脳系がどうとか、ジルボルトテイラーの体験なんかも面白い。意識とは何か?は今でも謎めいて、俺もさっぱりだが、脳を開いて見て意識がわかるという前提がやっぱり違うんじゃないのかなーと感じる。


通常の意識状態と一応言って見たものの、通常とはなんだろう。

一応、普段の自分の状態(で平均をとったもの)といえるが毎日同じ行動をしているわけでもなし。ホメオスタシスは維持されるのだから、それこそ平均体温のようなものでは?という考え方もできるが。

例えば赤ちゃんのときは身体が脱力していて、20代、30代、40代と加齢していくにつれ、O脚が増えたり、身体の異常が増えたりする。ウナ(脛骨の直下点)という基準がある、健康ー不健康という基準があるといえる。健康にホメオスタシスがあれば、とりあえずそこがラインといえる。


この文脈で脳や意識状態も同じように使ってみれば、一般人のO脚や重心の位置がおかしいように、一般人の意識状態はココからズレているよ、というのも一応いえるかもしれない。

仮に赤ちゃんを主として仮に考えるなら、割と周りと同調が強く、身体も柔らかく、頭でも考えないという、クリティカルエイジをリアルタイムでいく、能力開発でよくいわれる素材が全部揃っているように見えるがどうだろう?

一般人は赤ちゃんとは離れた頭でうなるように考える意識状態・リラックスした意識状態と離れている状態が通常状態かもしれない。「社会人脳」、高岡理論でいうところの記号化といえる。社会化が進めば進むほど、そのフレームに沿ったように思考を全部作り変える。なんでも区切りを設ける感じだ。

もしかしたら理想は右脳活性化(的)が通常状態かもしれない。社会全体のO脚や前重心が進んでいるのだから、社会人一般が正しいとはならない。「平均値ですね、平均体重ですね」が正しいとは思えないのと同じだろう。

とりあえず一応の尺度を置いている程度でしかないわけだ。岸田秀さんは赤ちゃんは全知全能唯我独尊状態にあると書いてあるが、物事の重要性の差が薄い(ものの概念、記号化されていない)状態といえる。全知全能唯我独尊といえるかどうかはわからないが、子供は大人ほど価値(物事の重要度の高低、分別がついていない)といえる。

 

共感覚者には自閉症の方もいるが(共感覚者じゃなくてもいるが)、他の人から羨む能力を持っていても、全体としてはバランスが崩れている可能性もある。サヴァンなんかもバランスがあるのかどうか微妙だ。統合失調症などは妄想の世界に生きているのだろうが、絵とかは上手い。

そもそも能力の有無を、これまた受験とかで勝ち抜けそうかどうか、など、採点(的)にしているのが怪しい。良い悪いもついたかどうかもスポーツが出来たか否か、というような社会性で測るわけだ。生まれつき室伏さんより筋肉の柔らかい人間は探せばいるだろうが、スポーツをするとは限らない。


赤ちゃんも虐待児等などでストレスがかかるとそれが個人差になる。赤ちゃん~小学校入るまでの子も必ずもう出来てきている。

僕の同級生のあるSくんは、授業中にもかかわらずイライラしすぎて、机をひっくり返していたりした。手に負えずその子だけ別の部屋に隔離するようなことになったが、結局、転校してしまった。彼なりにストレスがかかっていたと思われる。

 


news.livedoor.com

 

これの場合は、ストレスが他の同年代の子と比べて尋常なく大きい・・・ということはなかったと思う。割と「平均値なんじゃないのかなぁ」とニュースを見ていて思った。あるいは教師も、この教師だけがストレスを抱えているというより、これまた平均値のように感じた。今の教育現場の先生は辛そうだ。

上記のSくんほどのストレスのようには見えない。Sくんの場合は小学生の頃だったけど。

なんにせよ大小あれど、教室という箱であれ、家庭という箱であれ、国という箱であれ、入れられてストレスがある。そこが常識であり、世界だと思ってしまう。

 

ウーバーイーツの記事で書いたが、トルコ人は優しい。日本人が冷たい、とは思わないが(だいたいいい人だ)、これは接してみないとわからないことあるなぁって感じ。これは大した例ではないが、接してみないとわからないのはなんでもそうだ。ホリエモンもゴルフをやり始めたら楽しいと言っていた。やらないとわからない。

スポーツの好き嫌いも学校の箱の中で刷り込まれた可能性が高い。ジョギングやボルダリングでも登山でもなんでもいいが、運動嫌いだと思っていたが、30代40代でやってみたら意外にも楽しいということはよくあるだろう。


国なり地域なり、今後はどうもそういう境界線は減るという。老人は地域や地元に根付く傾向がある。僕の地元でも、親パターンを引き継いでいるとそうなりそうな気はしている。逆にまったく地元に帰ってこないような人もいる。

選ぶのは当人次第だが、若者が箱感を選ぶのは個人的には納得がいかない。本人が選んでいるのか、周りからの強制か、後者の方が圧倒的に多いと思うからだ。

 

どの問題にしろ一定の基準を持ってその枠内で話をしている。